私の中にあったフットボールに対する情熱は18歳の私を動かしました。大学で法律の勉強をしながら、近所の学校が持つサッカーチームで中学生の指導をし始めます。そしてその翌年、ユースチームを任されました。自分とほぼ同じ年齢の選手達を率いるという大きな挑戦でしたが僕は引き受けることにしました。とても難しいシーズンでしたがそれが僕を大きく成長させてくれました。
情熱と努力がそうさせたのでしょうか、街の有力クラブからユース監督を頂きました。学校チームから街の有力へ。ユース年代の最高レベルのリーグで監督を務めます。これは僕の人生で僕が経験した中でも最も大きな変化の1つだったかも知れません。そしてもう1つそんな変化があるとすれば何か。それはきっとプロクラブ、アスレチック・ビルバオで働くことになった時でしょう。
世界中で最も育成に定評のあるサッカークラブであるアスレチック・ビルバオの扉を叩いたのは2003年のことでした。当時スポーツディレクターであったアンドニ・スビサレータから電話がかかって来た時のことは忘れもしません。アスレチック・ビルバオの下部組織で働いてくれないかと聞かれたんです。僕が一瞬たりとも悩まなかったのは言うまでもありません。
第二監督として大人チームの指導に関わったことがあるとはいえ、僕のフットボールへの情熱は常に育成年代に向けられてきました。そこは最も優れた選手達が我々のトップチーム到達するため私が日々身を投じている場所であり、同時に私がその道のプロとして自覚している場所でもあります。
トップレベルの選手達間で差となって様々な要素に着目しながら選手達の成長に寄添っていきます。私は選手達があらゆる分野で“準備”されていくよう活動しています。